偶像の余白

ド新規髙地優吾担

まあ、知らんけどな。

姉に連れられて、ジャニーズWEST “Mixed juice”ツアーに行った。
4月30日、ぴあアリーナでの夜公演。

結論から言おう。めちゃくちゃ楽しかった。そして、泣いた

「涙が出た」とかそういうレベルではなく、完全に「嗚咽」。
何とか抑えようとしたけど、抑えきれずに「ぅ………… ぅ~………」と言ってるヤバオタクになってしまった。

彼らの何かに感動したのではなく、完全に“わたし”の感情として泣いた。胸打たれてしまった。
書き残さないといけないと思った。誰のためでもなく、何のためでもなく、ただ書き残しておきたいと、忘れてしまう前に。

だから、自担を追いかけて行ったFeel da CITYの書きかけの回顧ブログを放って、こんなブログを書いている。


ただ、1ブロック。
公演終盤。アンコール直前、ライブ本編終了間際のたった4曲と、それを歌った1人と6人のアイドルと、そして、それを観たたくさんのファンの中の1人のわたしの話をさせてほしい。



ぴあアリーナはあまり広くなかった。武道館みたいな印象を抱かせる、正方形に近い形をした会場で、私たちは3階スタンドの1列目。センターステージを真横から見る位置に座っていた。(スタンド1列目は着席指定だった)

この公演の曲目は36曲だった(内3曲がメドレー形式、2曲がAmbitiousのパフォーマンスだった)

その30曲目が「証拠」。
ホメチギリストを歌い終えてメインステージに戻ってきたジャニーズWESTたち、その真ん中で重岡大毅が語る。

「みんなを笑顔で熱く、元気にしたい」
「心の奥の、奥の方まで、届けたい」
「お待たせしました」

メンバー全員が掲げた右手。一人一人を照らすメンバーカラーの照明。
人差し指と小指だけを立てたその手の形を見れば次が何の曲かなんて一目瞭然だった。

証拠ってすごい曲だと思った。知っていたけど。
ものすごく強い曲だとは知っていたけど、いざ実際に、ジャス民とジャニーズWESTとバンドメンバー、スタッフさんしかいない空間で本物の、生の「証拠」に触れた時の、強さと、熱さと、一体感。

METROCKを2週間後に控えて、そして翌日発表された三大ドームツアーへの熱量も、もしかしたらメンバーたち自身の中でも、高まり続けているものもあったのかもしれない。

濱田さんの

“らしく行こうぜ”

の力強さ

神山さんの

“何が悪いのさ”

に続くロングトーン。ファンの間では化粧水ボイスとも称される神山さんの透明感のある歌声が、常よりもさらに一段、“叫び”のような色をもって濁ったのが特に印象的だった。


ここまでは、まだよかった。
まだ、ひたすらに「ジャニーズWESTの生み出す熱さ」に感動を抱いて、その熱量に巻き込まれて、それでもどこか冷静な視点でライブを観ていた。


31曲目「僕らの理由」
ずるいな〜 と思った。

ものすごく定番の流れだ。意外性があるわけではない、嵐で言えばtruth、Monsterが並ぶような、V6で言えば愛なんだとMADE IN JAPANが並ぶような、そんな定番の流れ。

でも、定番ってことはそれがものすごくハマるってことで。

こんなにも笑って いや 泣いて
忙しなく叫ぶ キミの心は
頑張っている証拠だよ

あなたという人の意味は 今日も僕が感じてるから
怯まないで 比べないで あなたは今日もあなたのままでいいんだ

こんなこと2曲連続で言われたら泣いてしまう、というのは常々思っていた。思っていたけど、これまではこの2曲を聴いても本格的に泣くことはなかった。

間違いなく響く曲だ。全然響かない人だってもちろん沢山いて、とんでもなく響く人だって沢山いて。そのなかでわたしは、この曲が“響く”側にはいても、「どうしようもなく響いてしまう」というほどではなかった。あの瞬間までは。


証拠で作り上げた一体感のまま歌い始めた「僕らの理由」。
その確か2番、Aメロあたりで突然重岡さんが走り出した

メインステージから外周を通って、外周とメインステージの接続部分となる位置。わたしのほぼ、いや、もう完全に真正面だった。
そこでこちら側に体を向けた重岡さんが煽る、煽る。

重岡さんしか観られなかった。
違う席でもそうなっていたとは思う、それくらい、とんでもない求心力のある姿だった。
そして、そう思わせるくらいの強い姿を、真正面で見せられた。メインステージにいる6人のことを全く見ることができなかった。

そして、サビ前に全力疾走。
小走りとかではなく、正真正銘の全力疾走。完全なるガンダでメインステージに戻っていった。


もうこの時点で完全に重岡大毅に心を掴まれていることはおわかりいただけただろうとは思う。
もともとかっこいい人だとは知っていたし、ものすごく熱い人だとは知っていた。
けれどやっぱり、「画面から得る理解」「ライブで得る実感」の間にはとんでもない質量の差がある。

そして、すでに“重岡大毅”の重さにやられているわたしに、彼はこのあとさらに追い討ちをかける。

間奏が終わると、重岡さんのソロパートが始まる。
その前に、重岡さんはステージ上手のカメラの前に片膝をつき、レンズを、きっとその向こうにいる、たくさんの“あなた”を覗き込む。

「俺たちからのメッセージだ」
「聴いてくれ」
「ヘイ」

“一回くらい挫折をしたってさ”
“一生が失敗なわけないだろ?”

「なあ、そうだろ?」

綺麗に、泣いてしまった。
きっとあの瞬間、あの会場で一番綺麗に泣いた自信がある。
そしてきっと、あの瞬間に泣いた人はみんな、その自信を持っていいと思う。

泣いてしまった。響いてしまった。救われて、すくわれて、掬われて、しまった。

何度も何度も、誰一人置いて行かないぞと、みんなでやろう!、みんなの夢もかないますようにと、何度も語る人の、その“みんな”の中に入ってしまった。
あの大きくて優しくて熱い掌に掬い上げられる一人になってしまった。


だって、これからのわたしは何度も挫折する。何度も折れる。
大学生活最後の年を迎えたわたしには、今年2回に分けて実習があり、就職に係る試験があり、それらの事前準備とその後にこなすべき課題があり、卒論があり、それらの他に学ばなければならないことがあって、その間にも最低限の人間関係は保たなければならない。

4月最終日、本格的に近づいている諸々の課題への根深い不安に投じられた、一石。

熱さは強い光によるもので、眩しすぎるその輝きは、間違いなくアイドルのもので。
やはりわたしは何度でも、音楽に、アイドルに、表現者に、その生き様に、その強さと輝きに、救われる。
アイドルでできた傷口だってアイドルで埋めてきたのだ。

あの瞬間の重岡大毅を思い出すだけで、この先きっと何度だって涙する。


32曲目「ムーンライト」
とんでもない と思った。

「サムシングニュー」にカップリングとして収録されているこの曲をちゃんと聴いたことは、正直あまりなかった。
それでも、この曲がどんな曲かは知っている。

重岡大毅作詞作曲。彼の信念がよく表れた、2番の一節。

真昼間の月に種を植えてみたくなったのは
いつか君を襲う夜の底 一輪の花を


もう勘弁してくれ。
メインステージのジャニーズWESTたちはめちゃくちゃ楽しそうに飛び跳ねて“Not yet”してるのにわたしはずっと泣いてた。
ていうか、“Not yet”っていうのもさぁ、、、、ほんと、ずるすぎる。

間奏で重岡さんがまた何か言っていたような気もするけど、全然覚えていない。っていうか、メンバーが楽しそうに跳ねていたことと、自分がずっと泣いていたことしか覚えていない。完全に唸っていた。



そして33曲目「サムシングニュー」
そういえばまだやってなかったなと思うと同時に、何度目かの「勘弁してくれ」を抱いた。

このライブに参戦する前にセットリストを確認するということはしていなかった。ただ、何曲かセトリ落ちした曲と、この曲のこのメンバーがやばいらしいみたいな情報を入手している程度。

その中でも、サムシングニューは、まあ確実にセトリ入りしているだろうなという曲であると同時に、「生で聴いたら死んじゃうじゃないの?」と言っていた曲でもある。

愛も闇も仕事も君も全部
この背中で戦ってみせるよ
限られた時で出会った人
そうさ 君がいれば
僕らは最強なんだぜ
さあ 進もうよ 姫

デビューシングルのカップリング曲以来のあいみょん提供曲。
ラブソングでもあると同時に、応援歌でもあるこの曲。

普通に聴いてても普通に死んでた。
だって「さあ 進もうよ 姫」とファンと語りかける重岡大毅を、桐山照史を、中間淳太を、神山智洋を、藤井流星を、濱田崇裕を、小瀧望を観たら、そんなの過剰供給で死んでしまう。

「ついていくなら重岡大毅」だし、「結婚するなら桐山照史」だし、「共に歩むなら神山智洋」「振り回されるなら藤井流星」「恋をするなら濱田崇裕」「愛されるなら小瀧望」、そして「うちわを持つなら中間淳太」なのだ、わたしは。

それなのに、そもそもサムシングニューが始まった時点で、ていうか2曲前から、わたしはもう全然普通じゃなかった。
もう死んでたのに、サムシングニュー。こんなの死体蹴りと一緒だ。

そして案の定記憶がない。泣いていたという記憶以外。

やはり強烈な応援歌だった。
別に“姫”として扱われたいわけじゃない。
ただただ、"さあ 進もうよ”と、“僕らは最強なんだぜ”と語る彼らがあまりにもかっこよくて、さらに泣いた。


サムシングニューまで歌い終わったジャニーズWESTは息も切れ切れに肩を組んで笑い合っていた。

「やったったで!」

「なんかよおわからんけど、やったった!」

「みんな、今日はやったった回です!」

ずっと意味わからんことを力強くいってる流星とそれにツッコミもしない6人がやっぱり大好きで、笑った。







きっとこの先、何度でも励まされる。何度でもすくわれて、何度でも泣いてしまう。
ものすごく幸せなことだと思う。
ものすごく鮮烈に焼きついたあの時の感情は、間違いなく星によるもので、思い出そのものはわたしのことを裏切らない。

今年、あの日、あの時のわたしが、あの日あの時の彼らを観ることができたことは紛れもない幸運で、無駄にしてはいけないもので。


だから、今年の全部が終わったらいってやる。
画面の向こうに戻っていった彼らに、「やったったで」って。



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