もしかしたらLifetimeはわたしのための歌だったのかもしれない
はじめに
沼落ちブログを書こうとしていたのだけど、なんか違う趣旨のものが出来上がってしまったような気がしてならない。
わたしがどうして髙地優吾担になったかの経緯ではあるので、そこまで外れてはいないのかもしれないけど、でも「思ってたんと違う」ということだけ言っておこう。
だって明るくない。楽しくない。これはゆうごの話ではなくて、あくまでも「わたし」の話だから、「わたし」に、もしくは「人間」に、あるいは「オタク」に、そして「活字」に興味のある人向けのものです。
2020年
わたしにとっての2020年の話から始めよう。
2020年、世界的なパンデミックに襲われたあの年をあなたはどんな風に過ごしただろうか。
わたしは2020年を大学1年の終わりから大学2年生として過ごした。もともと多いほうではなかった人との交流が減り、高校時代の友人とのディズニー行きが中止になり。事態はコロコロ、コロコロと悪い方へ。
アルバイトに行けなくなり、大学のオンライン化が決定し、もともとうつ傾向の強かったわたしの精神は完全に病んだ。まあ、病んだと言っても病院にいくほどではない。最低限しか食べない、異様に睡眠時間が長い、昼夜逆転生活。目に見える症状はそれくらいなので。
そんな中でわたしが縋ったものは嵐とソシャゲだった。
2020年の嵐については語るまでもないだろう。文字通り彼らは駆け抜けた。予定通りにいかなかった部分も含めて、そのすべてを無駄にしないように。
“区切り”に向けて走り続ける彼らを、わたしはいわゆる「茶の間」として追いかけた。
FCに入っているわけではなく、雑誌を買うわけでもなく。彼らに払ったお金はライブの配信チケット代とMVクリップ集、そしてBRAVE初回盤、それくらい。
あとは週2回の5人でのレギュラー番組を何度も何度も見返した。
ソシャゲに関して話そうとすると確実に他人をドン引きさせてしまうのだが、常時4つ以上のゲームを回していた。
スクフェスとあんスタのイベントを走りながら大阪城にもぐりつつ種火を集めるみたいなことをしていたわけだ。他にもプロセカとかまほやくとかツイステとかスクスタとかデレステとか、、、うん。完全なる依存。ガチャもそれなりに回した。
簡単に振り返ると、嵐に安心を求め、ソシャゲにストレスの全てをぶつけているような状態だったんじゃないかと思う。
でも仕方ないよね、としか言いようがない。大学2年生の年、わたしが大学に行った回数って15回なの。後期に一コマ。わたしが対面で受けた授業はそれだけ。
普通じゃない世界の中で、できるだけ「普通」に近い位置を保つために、そう見せるために、必要なことだった。
2021年1月~
さて、2020年を嵐とソシャゲで保ったオタクの話をここまでしてきたわけですが、ここで問題です。
このオタク、2021年になったらどうなると思う?
そう。崩れるね。
だって安心を「嵐」に求めていた。
人間の健康で文化的な生活って安心の上に成り立つものなのに。その基盤を失っちゃったから。
そうでなくても、2020年がなかったとしても、「基盤」だったのだ。嵐は。嵐の持つ番組は。
わたしは2000年生まれで、嵐にしやがれは2010年から始まっていて、わたしはそれを初回から見続けていて。
10年だよ。
20年の人生のうちの、10年。当たり前にあった大好きなものが、失われた。
最後の一年に依存したものであったから、なおのこと。
自分で予想していたよりも、その余波はかなり大きかった。
そんなわけで、2021年は1月から2月半ばの記憶があんまりない。まじで。全然。
ていうかソシャゲもやっていなかった。やれなかった。
2021年12月ごろからだんだん失速して、年が明けたらそのまま、どのゲームにもログインすらしなくなった。
だからほんとになにしていたか覚えていない。だって大学の授業も1月半ばには終わっちゃってるもん。ほんとに記憶ない。
唯一めちゃくちゃ印象に残っているのは翔ちゃんがZEROでのどなたかとの対談で「1月1日から2週間くらい、ほぼ毎日嵐の夢を見ていた」と言っていたことくらい。つらかったね。
2021年2月~
さて、そんなオタクがどうやってその後「記憶の保持」というはたらきを取り戻すか。
まず、2月半ばに教習所に通い始めた。そしてその1週間後くらいかな、初めてストチューブをみました。
寝起きドッキリPart2。なぜかおすすめに上がってきたその動画を見た。
なぜならジャニーズのゆるい寝起きドッキリが好きだから(サビ)
ちなみにこの時のわたしはすでにSixTONES全員の名前が言えたし、1月に配信ライブをやっていたことも知っていたし、NEW ERAのMVの再生回数がなんかすごいらしいってこととか、そんな感じのことは知っているし、シングル曲のパフォーマンスは全部見たことあった。そのうえでハマってなかった。んだけどその辺の話はできればまた今度。サブリミナルSixTONESに話題を限定したブログで話しましょう(希望)
てなわけで、寝起きドッキリPart2を見たオタクはそのままちゃんと報告ドッキリもみたし、Part2ってことはPart1もあるんだろ?と言ってそっちも見た。
はい!
いまブログを読んでいるあなた!いま安心しましたか?
ここから元気になるかもって期待した?
このまま沼落ちするんだろうなって思った?
残念!!!!!
まず、駅前に止めていた自転車が消えます。交番に届けます。
そして、他人と話す機会があったんだけど、ジェンダーに関しての話になってめちゃくちゃ傷ついて怒って泣きます。
数日後、自転車が戻ってきました。
その翌日くらいに左耳が低音を拾わなくなります。病院に行こうと自転車に乗ったら自転車と衝突します*1。自転車が使用不可能になります。耳鼻科で「低音障害型急性感音性難聴」*2の診断が出ます。先生にも薬剤師さんにも説明されるくらいに苦い水薬*3が処方されます。
これがね、約1週間で起こったんだよね。
2020年からのストレスを全部混ぜて煮詰めて出来上がったような最悪の1週間。
ちなみに耳に異常が出て事故りながらも病院に行った日は生理初日でした。踏んだり蹴ったり。この悪路には果たして水たまりは咲いていただろうか。
2021年3月~
翌日、予告なしで会いに来た姉に連れ去られ、県外の姉の家に。それが2月最終日。
そして、まるで図ったかのように翌日配信されたVoyage最終話。
2か月かけて、ようやく、“嵐の活動休止”が終わった。
あの時何を思ったかはよく覚えていないけど、でもたぶん、あそこでようやく「向き合えた」のかもしれない。
そして月曜日。姉は8時になる前に出勤する。
血縁者とはいえ他人の部屋で一人で過ごす日中、わたしがしたことがなにか。
おめでとう!ここで本格的にストチューブの登場です!!
なんせ姉の部屋のテレビは一人暮らしにしてはかなりでかいしネトフリもパラビもTVerもアマプラも、そしてなによりYouTubeも見られる!
というわけで姉のいない時間はだいたいYouTubeを見て過ごした。ほんとにずっとストチューブだけを見ていたわけではないし、同じものを繰り返し見るタイプなので、本数としてはそんなに広げられていない、が、めちゃくちゃ見た。そして、付随してコンビまとめみたいな非公式の動画を見た。気づいたら水曜には髙地優吾の話をしていた。
??????????
ここだ。ここがわからない。まじで。
自分でも何が起こってどういう経緯で「髙地」の話をし始めたのか全然覚えてない。
何で刺さるかはわかる。そもそも顔が好きだ。最年長だ。メンカラが黄色だ。全員からリーダーとして指名される男だ。急に予約業務ぶん投げられて普通にやり遂げる男だ。
でもさ、その“刺さり”、どうやって見つけた?
謎は尽きないが、この数か月いくら考えても答えが出てこないので、いったんこの謎現象の話は置いておこう。だって、この時点ではまだ“推し”だから。
そう、まだ髙地優吾は“推し”です。数多いる推しの一人。
そしてSixTONESは、複数いる“好きなジャニーズグループ”のひとつ。
好きだけど、担当ではない。これが3月1週目。
では、3月2週目は?
まず、異様な速度感でストチューブとスノチューブをみていた。
そして3月11日。1年で一番嫌いな日である。絶対にテレビをつけたくない。察してほしい。わたしの実家は福島県の海沿いにある。
更に3月12日。友人と会った。またこの友人について話すと長くなってしまうのだが、簡単にいうと「同性愛前提の社会であったら付き合っていたのではないか」とわたしが個人的に考えたことのある子だ。恋愛感情があるわけではないけど、一般通念における彼氏同然のことをしてきたと思う。でも、あくまでも私個人の考え。でも、それくらいお互いに依存していたはず。
で、この友人、1月半ばから連絡が取れなくなっていた。いろいろあって(色々あって)。
そんな子から約2か月ぶりの連絡、「CDを返したい。この日会える?」「いいよ、ここで待ち合わせね」。
「久しぶり」「CD、ありがとう。そんでこのお菓子、お礼」「うん、ありがとう」「じゃあ、わたしこの後予定あるから」。おしまい。
このあと、彼女のインスタグラムからたくさんいたわたしが一人残らず消えた。彼女と出会ってから積み重ねた5年間の思い出を全部否定された気持ち。もう彼女からは決して連絡がこないと、「じゃあね」の瞬間に悟った。
そしてその数時間後、Twitterトレンドには「V6解散」の4文字が並んだ。
逃げないといけないと思った。どこかに避難しないと。どこに?あそこだ。
たぶんこのためだった。このタイミングで逃げ込むために、この数日間はひたすらにストチューブとスノチューブをみていた。
わたしがこのタイミングでなりふり構わず飛び込むために、いま彼が表紙のWiNK UPが店頭に並んでいるのだ。
そう思って、飛び込んだ。
結果が今である。
担当になった
3月14日、WiNK UP4月号を買ったことでわたしは髙地優吾担のオタクになった。
というのも、これはわたしの「担当」という言葉に対する定義の問題で、「金を出していなければ担当ではない」のだ、わたしの中で。
でもこれはあくまでも私個人に適用される定義なので、他人にどうこう言うつもりはまじでない。あなたが自分をスト担と定義した瞬間からあなたはスト担です、金も他人も関係ない。
てなわけで、2021年3月を境に髙地担がこの世に一人増えた。
まあ、名実ともに髙地担になるのはFC入った5月1日なんだけどね(あくまでもわたしの定義)(記念日にFC入りたいオタク)
おわりに
わたしのTwitterをみてもらえればわかるとは思うけど、わたしは別に嵐やV6のかわりに髙地優吾とSixTONESを好きになったわけではない。
嵐とV6のための部屋はそのまま、心の中に増築をしただけ。
V6の部屋に入りづらくなる前にこの部屋を過ごしやすいものにしようという意識は確かにあった。
でも、そこがただの「居やすい部屋」ではなくて、「異様にスペースのある部屋」になったのは、他の人は関係なく、単純に髙地優吾個人にわたしが落ちたからに他ならない。
他の部屋はだいたいグループ単位の部屋で、その中でパーテーションとかでかる~い仕切りによって個人のスペースが作られているようなイメージなんだけど、SixTONESの部屋だけ違うんだよね。
ゆうごのスペースが異様に広い。ので必然的に部屋が広い。
わたしだってこんな予定じゃなかった。もうちょっとバランスのいい部屋になると思っていた。
これはわたしの意図するところではなくて、そう、ゆうごが勝手に進めた増築に次ぐ増築。大工さんになりたかっただけあるよね。
だからなにが言いたいかというと、マイナスの感情のみに突き動かされてスト担やってるわけじゃないよってこと。
背中を押したのは「逃避」だけど、そもそも背中を押されたら飛び込める場所に立っていたんだ。飛び込んだ先が、そのまま居続けることを選べるくらい、いやすい場所だったんだ。
でも、あの日をゆうごを明確に一つの言葉で表現しようとすると、どうしようもなく「逃げ場」で、だけど逃げさせてくれる場所って「救い」だから、ああ、そういうことなのかもしれないって。
このブログ、中盤わたしはほぼ泣きそうな状態で書いた。そんなさなかで、急にLifetimeの歌詞がパッと浮かんで。
ああ、あの「Just lean on me」はわたしのための言葉だったのかと。
もちろん私のためだけの歌ではない。
でも、わたしが受け取った瞬間の解釈は自由で、わたしの解釈によって、わたしにとってのLifetimeは彼らからわたしのための歌になった。
ほら、もう楽しい。さっきまで泣いてたのに。
星の見えないような長い夜の中でも、あなたたちには道を指し示す星々の名を持つ人がいて、あなたたちが「アイドル」でいる限り、わたしもその光を見失うことはない。きっとね。