偶像の余白

ド新規髙地優吾担

もしかして第2部始まった?

正月休み中に2022年の自担について考えたことを話させてほしい。

が、その前に注意しておきたい。あくまでも「一人のオタクから見た自担」の話であるということ。これからする話は全部、思い込みと偏見によって出来ている虚像の話

 

はじめに

結論から始めてしまおう。

三が日に改めて2022年の自担について考え、そして思った。「もしかして第2部始まってね?」と。

この場合の”第2部”は、”自担・髙地優吾のアイドル人生”における第2部を指す。というわけで、なぜ一オタクがそう思ったのか、主に2つの視点から述べさせてくれ。

 

 

2012年から10年

私立バカレア学園

2022年といえば、まず「私立バカレア学園」から10年経った年となる。テレビ局の人とジャニーさんの意図、2つが合わさって、お芝居をするために集められた6人。

個々でのつながりはありつつも”6人”の輪ができたのは間違いなくこの時だろう。「私立バカレア学園」は、”SixTONES”の起点であり、6人全員にとって大きな”分岐点”だったはずだ。もちろん、髙地さんにとっても。

 

デビュー後の1万字インタビューで「初めて仕事を楽しいって心から思えた」と、彼は語っている。

1万字インタビューに全部書いてあるけど、何度も辞めたいと思ったとか、歌もダンスもやりたくてやってるわけじゃないのになんでこんなに怒られなきゃいけないんだとか、バカレア以前の髙地さんの話はとにかく楽しくなさそう。SMAPとJrでのトークの時には「お芝居よりはバラエティをやりたい」と言っていたが、その「バラエティをやりたい」だって、積極的な意味ではないんだろうなと思ってしまうくらいには。

そんな中でも必死に食らいついていたB.I.Shadowが解散状態になった時の彼は、きっと”宙ぶらりん”な感じだったんじゃないだろうか。健人とも風磨とも、北斗とも心理的距離を感じていたかもしれない時の彼に寄り添ってくれる、”友人”足りえる人が同じJrにいたのかも、いなかったのかも、担歴2年足らずのわたしは知らないが、いなかったのだとしたら辛すぎる。わたしが。

 

でもきっと、それは「私立バカレア学園」の現場で手に入った。居場所、親友。一緒に頑張りたいと思える相手、一緒にいたら根拠のない自信が持ててしまう、そんな場所。

 

髙地さんが「理屈抜きで楽しいと思った」のが、単純に”仲間との現場”だったのか、”仲間とのお芝居の現場”だったのかは、たぶん彼自身も分かっていないことで、知る術もないし、究極わたしが知る必要なんかないことなんだけど。どちらにせよ髙地さんは、2012年にお芝居の現場で、その後の人生に大きくかかわる仲間仕事の楽しさを得たと言えるのだろう。

 

夏の夜の夢

舞台「夏の夜の夢」は、2022年9月に日生劇場で約1か月の間、上演された。

シェイクスピア作品、外部舞台、舞台や俳優に詳しくなくてもなんとなく察せられるキャスト陣の豪華さ。その中でなんかすごい前の方に名前が載ってる自担。わたしの人生では五指に入る青天の霹靂だった。

 

だって髙地さんには、あんまりお芝居のイメージはない。

バラエティ歴13年に裏打ちされる、異様に高いバラエティスキル。本人の「バラエティが好き」という言葉。グループ内にお芝居に特化した印象がある人が複数いることも影響してるだろう。

それでも髙地さんにやってきた、外部舞台の、シェイクスピア。めちゃくちゃ苦労するだろうなと思ったし、めちゃくちゃ変わるだろうなとも思っていた。

 

「夏の夜の夢」における髙地さんの役どころは、「若者組」と呼ばれる4人組の中での動きが主なものだった。若者組キャストの年齢構成は、28歳、28歳、28歳、26歳。ゴリゴリの同世代でありながら、髙地さんとは異なる形でお芝居をし、芸能界を生きてきた人たちと過ごす2か月間。考え方とか、人付き合いの仕方とか、そういうものに彼の中で変革が起こってもおかしくないとは思っていた。

 

9月28日が大千秋楽だった。初日の幕が上がってからの髙地さんは、声を枯らす様子もなく、怪我をすることもなく上演期間を駆け抜けた。

そして、大千秋楽のその日のブログのラスト。「この経験は、人生の分岐点だと思う。」

 

人間が己の人生においてどこかを”分岐点”と語る時、それは大抵が過去を振り返ってのものだとわたしは思っている。「いま思えばあそこが分岐点だったと思う」とか、「あそこで変わったから、その後のこの出来事につながった」とか。

だから、かなりの衝撃だった。まだ現在地といっていい場所を、明確に”分岐点”と語るほどの経験を得た実感が、”いま”あるのかと。ここを分岐点に、たな道を進もうという決意をしたのかと。

 

 

でも、舞台後の髙地さんをみると衝撃は納得に変わる。

発声が変わった。パフォーマンスの時の彼から、これまでなかった自信みたいなものを新たに感じるようになった。

オタクが知りようもない範囲での変化も、一部、メンバーによって知ることができた。ありがとうMステカメラ。ありがとう大我さん。情報の付け足しをありがとうほくしん。

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最大の変化は、繰り返し口にされる「また舞台に立ちたい」だろう。

1万字インタビューでは、バカレアの話以外には芝居の「し」の字も語らなかった髙地さんが、雑誌でもFCコンテンツでも、「またお芝居をやりたい」という。

バラエティ一本に絞っているかのように見えていた彼の道に、お芝居も加わった。

 

2012年、お芝居の現場でアイドル人生における大きな分岐点を通過した彼が、10年後の今また、お芝居の現場大きな分岐点とした。大きな変化の時を、彼の担当として過ごせたことを幸運に思った秋だった。

 

 

2010年から12年

髙地さんが、相葉さんへの憧れを抱いたのは、2010年の国立競技場でのライブかららしい。

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デビュー直前に出演した「嵐にしやがれ」の個人アピールコーナー。「相葉への愛を語る」という名目で、事前に相葉さん宛てに書いてきたお手紙を読み上げる形で語られた「ステージ上でほんわかとした雰囲気を放つ人を初めて見た」という「衝撃」。更には、ステージ上でダメ出しを受ける相葉さんと、それを見るファンの声が印象に残っていると髙地さんは語っていた。

歌割り間違いの指摘に関して「相葉ちゃんだからね さすがだわ」とつぶやくファン。失敗さえも、人々の笑顔の種とする姿。

「失敗」すらも「魅力」として愛される姿は、当時の彼にとって、強烈な救いに見えたんじゃないだろうか。

あるいは、活路

 

髙地さんの入所日は、2009年5月29日とされている。

ジャニーさんに連れていかれたという国立競技場でのライブが開催されていたのは、2010年の8月末から9月頭ごろ。髙地さんの入所から大体1年と3か月後くらいになる。

当時の髙地さんは、どんな状況にあっただろうか。

 

わたしは”当時”を何も知らない。1万字インタビューや、古参ファンの残した文章たち、本人たちの昔話。そういうのをいっぱい浴びていっても、やっぱり「辞めたかった」は強烈だ。

(ここからはマジで虚妄だから話半分に読んでくれよ)

 

先述の内容と重なる部分もあるが、彼は事務所に入りたくて入ったわけではない、歌もダンスも得意ではない。そもそもアイドルへの興味もない。それなのに、入所直後の髙地さんは、おそらくかなり目立つ位置に立たされることが多かった。

入所してすぐのB.I.Shadow加入。ふまけんの隣で、北斗のシンメ位置で、優馬の後ろで、NYCの後ろで、歌って、踊らなければならない。できなくても、やりたくなくても。少クラ、Mステ、果ては紅白まで。否応なしに目立ち、そしてきっと比べられる。

 

 

突然話が変わるようだが、オタクとして髙地さんをみる人たちの中には、彼は自己肯定感が高いという人も、低いという人もいる。

どっちもあっているんじゃないかとわたしは思う。ただ、もっと細かく言うと、彼は「アイドルとしての自己肯定感」が低いんだと思っている。

そう思う理由の一つは、2022年8月末のラジオで、田中・松村・菊池によって、数多ある彼らの思い出話のひとつとして語られた。簡単にまとめると、「入所したころの髙地は、俺らが稽古してるレッスン場の端っこで、手拍子叩いてカウントとる練習してた」である。

 

これめちゃくちゃ辛くないか?

 

だって15歳男子だよ? 高校生なんて思春期ど真ん中に、同い年も年下も踊ってるであろうレッスン場の中で、一人だけ、手拍子だよ?

そうでなくとも、そもそもが髙地さんは本来プライド高めの人で、しかも運動神経はめちゃくちゃいい。足も速いし球技もできるし水泳もできて跳び箱もめっちゃ跳ぶ。基本的なスポーツに関して言えば、樹に「お前できないことないの?」と言わせる程度になんでもできる人だ。

そんな小学校で一番モテるとされる要素をもって生きてきたであろう男子高校生が、手拍子。

すごい挫折で、すごい劣等感を抱きそうな状況。もう考えていてわたしがつらい。

そんな中で頑張っているのに、できないと怒られてしまうんだろう。そもそもやりたくないものをやらされているのに。そりゃ、何度も「辞めたい」とジャニーさんに話すし、風磨や北斗に「スク革が終わったらやめる」と言い続けるだろう。

 

さらに言うと、髙地さんは入所以前はきっと”アイドル”を知らない。つまり、入所以降に”アイドル”を知っていくことになる。では、髙地さんのいちばん近くにいたアイドルは誰だろう?  B.I.Shadow もしくは、NYC

ふまけんと、山田、知念、中山優馬。風磨を除いて全員が同い年。ステージに立つ彼らの姿は、髙地さんにはどんな風に映っただろう。

大きすぎる背中だったんじゃないだろうか。共にステージに立つには。

 

Jrは他にもたくさんいるし、北斗だって一緒にステージに立っている。それに、そういった環境の中でも頑張る彼のこと応援し続けたファンの方々もいたことだろう。それでも、自分より年下でも、自分よりも踊れる子たちの存在は、そうそう慰めや励ましにはならないし、入所して1年くらいの記憶がほとんどないと言う当時の彼に、「ファンの存在に目を向ける」「ファンの存在を支えにする」余裕があったとはあまり思えない。

“アイドル”を知らなかった彼だから、それなのに同い年に既に“アイドル”として完成した形が複数あったから、思ってしまってもおかしくない。

“完璧でなければ、認められない”

“完璧でなければ、愛されない”

 

 

だから、革命だったんだと思う。ステージの上でダメ出しを受けて、それでも愛される相葉さんの姿は。

ステージの上での“ミス”が、その人らしさとして肯定される世界。そうやって愛される“アイドル”

“完璧でなくとも愛される”  国立競技場という大舞台でのそれが、何よりの証明。

 

だからこそ、彼は相葉さんを目指したんじゃないかと思っている。

相葉さんのように愛される人に。相葉さんのような立ち位置に。

キラキラの笑顔。ステージ上でも崩れないほんわかとした雰囲気。あの日、衝撃を受けた姿みたいに。

 

もちろん、相葉さんに憧れた要素は他にもあるだろうし、キラキラ笑顔もほんわか感も、彼自身がもともと持っていたものでもある。それでも、それが高地優吾のパブリックイメージ”にまでなっている今は、相葉さんを強く意識していない彼では起こり得なかったのではないだろうか。

 

さて、では2010年から12年経った2022年、髙地さんに何が起こったか。

まず、髙地さんは28歳になった。

高地さんと相葉さんは干支一回り、しっかり12個違いだ。2010年国立当時の相葉さんは27歳。髙地さんはわざわざそんなこと考えたりしないだろうが、彼はもう、あの日の憧れを年齢として追い越した

さらに、髙地さんはデビューした。

同じグループにいたとしても、レコード契約によってこれまでとは違う役割、セルフプロデュースが求められたり、デビュー前とは違う形で、自分の役割を考えたりするだろう。きょもゆごユニット曲の選曲の際には、「今のSixTONESにはアイドルのゴリゴリ感はいらない」という趣旨の話があったとかなかったとか。

あとはまあ単純に、大人になったはずだ。前2つの総合ともいえるが、12年もあれば新生児は小学校を卒業するし、小学一年生は高校を卒業する。それくらいの時間の中で、人が成長し、必要とするものが変わって行くのは至極当然のことで。

 

だから、髙地さんは、2022年までの間に、”相葉さんへの憧れ”を卒業したんじゃないかと、そう思っている。

 

実際のところ、「憧れの人」は変わらず相葉さんだとは思うが、”アイドル・髙地優吾”ロールモデルとしては、卒業なんじゃないだろうか。

もうキラキラ・ほんわかを”目指す”のは違う。それは悪い意味ではなく、もう”アイドル・髙地優吾”は”自身の武器”として、キラキラ・ほんわかを持っている。相葉さんは既に、”アイドル・髙地優吾”の確固たる基盤の中にいる。

それを知ってか知らずか、彼はソロカバーに”嵐”を選ぶのをやめた。それが何よりの”卒業”の証なのではないかと、そう思っている。

 

真っ暗な海の中で、たった一つの灯台のように相葉さんを目指す時期が、たぶん終わった。夜が明けて、陸に上がって。真っ暗な夜を照らした灯台を出発点に、きっと次は、山を目指す。

 

V6

そして2022年12月9日放送の少クラでのソロカバーに彼が選んだのがV6の「雨」だった。

「雨」はV6が最後に出したオリジナルアルバムのリード曲であると同時に、2021年に行われたV6のラストライブツアー「groove」の一曲目を飾った曲でもあった。


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V6の解散は2021年11月1日。

髙地さんは、10月27日に「groove」を見学したらしい。「”家族”」「昨日の衝撃は、忘れられない」そんな言葉たちが綴られた翌日のブログと、10月30日深夜のラジオでの「TAKE ME HGHIER」のリクエスト、少しではあったが樹と語ったV6への想い等、ほんとに大きな衝撃や感動や、憧れのようなものが、彼の中に生まれたんだなと、思ってはいた。

 

さらには、その後、髙地さんはなんやかんやV6とのご縁に恵まれていたように思う。長野さんの番組への度重なる出演(本当にありがとうございます)、井ノ原さん主演ドラマでのゲスト出演(マジでありがとうございます)、 8月末に偶然と努力の積み重ねでつながった健くんとのご縁(これからもよろしくおねがいします)。ライブを観て、「惚れた」と言わしめた人たちと、また異なる形で交流を持つ。”憧れ”が強化されそうな状況だな、と思っていた。

 

そして、少クラでのパフォーマンス。髙地さんは、ストライプスーツで、イントロ部分ではモノクロの画面加工がなされていた。

髙地さんが憧れたのは、間違いなく、”「groove」のV6 ”だった。

V6はつけていなかったサングラス、ライブで同じ衣装を着ていた時よりもおそらく一つ多く開いたシャツのボタン。

28歳にできる最大級の「大人っぽさ」の演出に思えた。

 

嵐のカバーを続けたJr時代からデビュー初期。そのキラキラ笑顔のパフォーマンスのイメージから大きくかけ離れた、「雨」の世界観。

だから、思った。”相葉さんを目指す”を卒業したのだと。次に目指すのは、”V6のような表現力”なのか、と。

 

まあ実際のところ、彼がV6を今後の道標とするのか、道標にするとして、その主軸が”表現力”なのかはわからない。

でも、あの日髙地さんに衝撃を与えたのは、あの世界観で、あの深みで、あの絆で、それらを歌と踊りに落とし込んで伝える”表現力”なんだろうと、髙地さんの「雨」を見返すたびに思う。演出はかなり寄せているけど、伝わってくるものが違ったから。

V6の「雨」は、土砂降りの中で狂気と絶望を抱えたまま死んでいってしまいそうだったけど、髙地さんの「雨」は、土砂降りのあとの晴れ間が期待できた。絶望の先に、ちょっとだけ、希望がみえた。

だから、髙地さんは髙地さんのまま、”V6みたいな表現力”とか、そういうものを目指していくんだろうなって、”分岐点”後の彼だからこそ、なおさらそう思った。今度は、年相応、もしくはそれ以上のカッコよさと深みを。目指してほしいというただの願望かもしれないけど。

 

”相葉さんへの憧れ”とともに作り上げた”アイドル・髙地優吾”の基盤の上に、”V6のような表現力”を。その道のりが、始まったんじゃないだろうか。

 

 

アイドル人生・第2部

以上2点について気付いて、「あれ、これって第2部じゃね?」と思った。

どちらか一つだけだったら、”新章”って言ってたかもしれない。でもこれらが、ある意味連鎖的に、1年の間、もっと言えば、半年の間に起こったから、10年という目安も相まって、それはもう「第2部の始まりだろう」と。

10年あれば、時代が変わるのだ。だから、”アイドル・髙地優吾”のまた新しい時代が始まるんだと、そう思っていた、、らドームが決まっちゃったからこのブログはもうちょっと続く。あと「ロケ上手くなりたい」と「時代劇出たい」が新しく出てきたね。明確な目標とか、表に出る貪欲さとか、すごくいいなあって思う。自信がついた証とも、成長の証とも受け取れる。

 

でも、髙地さん単体の話は一旦、ここで終わろう。ということで、最後にわたしがこの半年ちょっとで繰り返し読んだ、2022年下半期しいたけ占い | VOGUE GIRLうお座の標語を紹介させてください。

「熱い気持ちを持ってしまいました。正面から挑み、勝っていきます」

 

 

 

SixTONES

余談と行こう。

友達

ここまでもド主観だが、ここからもド主観。SixTONESって2022年に”友達”になったよね、っていう。

考えても考えても、きっかけは2020年12月8日なんじゃないかと思ってしまうので、だれか別の起点を教えて欲しい。


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俗にいう”ゆごほく友達記念日”である。

”友達”の判定基準が異様に厳しく、「友達は二人しかいない」と語ってきた北斗が、「こーちはね、友達」と言ったがために、当人たちは赤面し、他メンバーが大いに喜ぶという謎空間が発生した。

 

その10か月後、ラジオにて北斗が「メンバーとちゃんと仲良くなろうとしている」ことを明かした。

さらにその5か月後、3月放送の少クラで、北斗の友達をつくろうとするコーナーに”友達候補”として現れた慎太郎に対し、北斗が「友達来ちゃったよ!」と叫ぶ。

(ほかにも誰の手か当てるクイズみたいなので北斗がメンバーの誰かのこと”友達”って言ってた気がするけど記憶が定かでなくて検索もできない)

そして、ライブMCでの「俺たち仲いいから!」という話題の増加。

「なんかめちゃくちゃ仲良くなってるな…」と思ってたら、本格的に「オフになったら俺ら友達が6人集まってるだけだから」みたいなことを言うようになっていた。

最年少念願のプライベート6人ご飯が叶ったのも今年らしいね、おめでとうたろちゃん。

 

仲がいいの自体は、前からそうだったと思う。個人同士のつながりを、親友とか、友達と表する様子も、デビュー前にもあったはずだ。でも、”6人”を総じて「友達」と言葉にすることはほぼないというのが、わたしの中での印象だった。誰かが「友達だ」と言えば、誰かが「友達ではない」と返すような流れとかは見たけど。

 

それが、2022年を終えてみると、SixTONESはめちゃくちゃ友達になっていた。

もしかしたら、”SixTONES”じゃなくて、”6人”が友達になったのかもしれないけど。

 

で、だからなんだというと、これもまた、「バカレアから10年」だなと思ったのだ。

ドラマを作るために集められた少年たちが、紆余曲折を経て、10年後のいま再び”友達”になった。そんな風に思えた。

 

お芝居

「バカレアから10年」がもう一つある。今年、全員がめっちゃお芝居したなっていう。

年末のラジオ番組「ミュージックソン」内の「SixTONESオールナイトニッポン」の最中に、今年それぞれが演じた役柄の職業振り返りがあったが、見事に全員2回以上何かしらの形でお芝居をしたことになる。


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しかも、一口に”お芝居”といっても、その形も様々だった。

声優が3人、舞台出演が3人、実写映画が1人、連ドラ初主演が2人。半数以上が、ネット記事に「挑戦!」と書かれそうな仕事をお芝居でしていた。

 

とはいえ、「全員がお芝居やった」だけだったらたぶん2021年もそうなんだけど、2022年はさらなるオプションがついていた。

4月、恋マジの北斗と、ナンバの慎太郎。9月、帝国劇場の樹と、日生劇場の髙地。10月、束の間の京本、最初はパーのジェシー。狙ったのかってくらい、綺麗に2:2:2で、それぞれ同時期に、似たようなフィールドで。

 

さらには、北斗出演ドラマでは、SixTONES初の”ドラマ挿入歌”がついてきた。

京本、ジェシーが同時に果たした連続ドラマ初主演には、これまた同時に、SixTONES初の”ドラマ主題歌”がついてきた。結果として、SixTONES初の両A面シングル発売に至る。

それぞれの個人仕事の発展が、グループの仕事に、音楽につながる。

ひとつのドラマを作るために集められた6人が、今度は”6人”をホームに、それぞれの場所でお芝居を作り、そしてそれがまた”6人”に還元される。

その実りが、大きく示された年だったんじゃないだろうか。

 

まとめ

さっきも言ったけど、こんなこと考えてたらドーム決まっちゃったし、アルバム初週売り上げがハーフミリオン超えちゃった。おめでとう。やっぱり新章じゃんね。オタクはそんな風に思ってしまいます。

ちなみに、”SixTONES”に対しては、”第2部”とまでは思っていない。わたしにはそこまではわからないから(これじゃゆうごの方は”わかってる”みたいに見えちゃうね)っていうのと、あと単純に”第2部”ではないんだろうなって気もするね

 

章分けをどれだけ細かくしてるかも人それぞれなので、こんなこと言ったらちょっとあれかもだけど、それでも、やっぱり2022年下半期は新章幕開けだったんじゃないかと思ってしまう。なぜ下半期かというと、6月にデビュー後初のツアー完走が叶ったから。そして次の段階、アリーナ+ドームツアーへ進むための助走期間から、新しい章が始まったんじゃないかって。

そして、「今年は勝負の年」らしい。何がどう勝負なのかは全く知らないが、「今年一年間次第で、今後の何かが大きく変わる」ということなら、やっぱり新章に入ったんだな~と思う。

さらに言えば、「勝負の年」の一発目のじゃんけんで勝ち上がったのは、われらが最年少なわけだ。バカレアの主演は慎太郎だったな。6人の11年目、また真ん中に立つのは君なんだね。