偶像の余白

ド新規髙地優吾担

与える人と受け入れる人の話

※全て個人の見解です※

 

 

荒唐無稽な例え話から始めようと思う。


まず、愛情がお水だとします。

水が人間の体内を、世界を循環するものであるように、愛情もまた循環するものです。

受け取った水(愛情)をその場で飲む人もいれば、ボトルに移し替えて持ち歩く人もいる。人からもらったペットボトルをそのまま人に渡す人もいる。でも、それは愛情の横流しなんかでは無い。受け取った時点で、その水の所有者はその人で、つまりその人固有の愛情になる。


さて、そんな世界の中で、ジェシーくんのお家には大量の2Lペットボトルがあるとしましょう。それをジェシーくんは毎日、どんな仕組みか分からないけど数本持ち歩いているとしましょう。

ジェシーくんはほんとは会う人みんなに2Lペットボトルを渡したいと思っています。でも、現実にはそうはいかない。だって2Lペットボトルって、でかいし、重い。なかなかホイホイ受け取れるものではない。

 

だからジェシーくんは、2Lペットボトルのお水を少しずつ色んな人に分け与えます。コップ一杯だったり、ボトルに500mlだったり。欲しい量は人それぞれ、適切な量は人それぞれ。本当はみんなに2Lあげたいけど、その人にあった量をちゃんと理解して、その分だけあげることもまた愛情なのだと、ジェシーくんはちゃんと知っています。


しかし、ジェシーくんはそもそも“みんな”に2Lペットボトルを渡したい人です。大好きな人たちであれば、もっとあげたい。玉置さんに会えれば4本渡したいだろうし、メンバーには毎回6~7本渡したいかもしれない。でも、そうはいかないってちゃんとわかってて、時には1Lで済ませたり、コップで3杯くらいに収めたり。でも時々、「2本くらいもらってくれない?」って日もあるかも。

 

 

では、髙地さんはどうでしょう。ジェシーくんがこーちに会うと、髙地さんはジェシーくんをお風呂に連れて行ってくれます。そこは、髙地さんに愛された人しか入れない特別なお風呂場。入ってくる人に合わせて家庭用のお風呂になったり、スーパー銭湯になったり、露天風呂になったり、泉質も変わるし、入浴剤だって、その人に合わせて髙地さんが選んでくれます。


そこではね、髙地さんはいくらでもペットボトルを受け取ってくれます。だって全部沸かしてお風呂にしちゃえばいい。1人用のお風呂だと溢れちゃいそうな日は大きいお風呂に変えればいいしね。


そうして準備されたお風呂にジェシーくんは浸かります。熱すぎず、ぬるすぎず。ずっと入っていても心地いい、ちょうどいい湯加減。温泉ソムリエの資格は伊達じゃない。

 

そして、お風呂場にあるのは、湯船の水だけじゃない。室内には蒸発した水蒸気が満ち、身体を洗おうとすればシャワーも出てくる。その場にあるお水は、全部、全部、髙地さんが用意した、彼所有のもの。髙地さんの愛情です。 


そうやって自分のテリトリーに相手を招き入れて、自分の用意した水、自分の愛情に相手をどっぷり浸からせるのが髙地さんの愛し方なのではないでしょうか。

 

 

 


というのがね、わたしのゆごじぇ解釈なんですよ。
突然の謎例え話にお付き合いありがとう。どうも、小笠原です。

 

定期的に一部で話題になる、「なんでゆごじぇってあんなに仲良いの」ってやつ。わたしは、2人の“愛し方”の一致にあると思っていて、この1000字にわたる謎の例え話をしました。果たして何人の方がここまで辿り着いたのでしょうか。

 

 

「愛し方の一致」というのは、「愛し方が一緒」ということではなく、「真逆の愛し方をするから凹凸がはまって相性がいい」ということ。


ただし、一致している点もあります。2人とも愛情の総量はとんでもなくデカい。そして、愛されるより愛したいマジで。

 

ジェシーくんは、たぶんひたすらに“与えたい人”なんだろうなと個人的に思っています。めちゃくちゃ愛したい、可愛がりたい、構いたい、構ってほしい、遊びたい。

でも、その全部を受け取れる人はそうそういない。アイドルという、不特定多数の人に“愛”を配り歩くような、天職ともいえそうな職業についてなお、持て余しそうなその愛情。
でも例えば、それを全部、与えたい分だけ受け取ってくれる人がいたら? その人に執着しちゃいませんか?

 

 

髙地さんとジェシーくんが親しくなったのは、バカレアがきっかけ。当時はたしか、19歳と16歳。


当時のジェシーくんの状況とかは、ぜんっぜん、なんっにも知らないが、一般的に考えて、中学生から高校生の男の子って、「だいすき」を伝えにくくなる時期なのではないかと思う。この先をずっと一緒に歩むような確信のあるメンバーもおらず、アイドルとしての活動も“Jr”という制限がある中、持て余してしまった「だいすき」の感情を全部ぶつけても問題ないお兄さんに出会ったとしたら? それが髙地優吾だったら? いまの状況はわりと納得がいきませんか?

 


対して、髙地さんの愛情のテーマは、そばに居ること、見守ること、受け入れることであるとわたしは考えています。
そして、無限の器を持っ人だ。どういう仕組みかわかんないけど、あいつのキャパシティは海。普通のダムなら決壊するようなジェシーくんの隕石級の愛情が突進してきても、まあ、ちょっとした波が起きましたね、程度で済む。(なんで?)


というわけで、ジェシーくんがどんなに重い「だいすき」を伝えても、引かない、逃げない、重たがらない。GPS付けたいって言われようが、寝起きでハグされようが、ライブ終わりの汗まみれの手でベタベタ触られようが、「お前は好きだからいいんだよ」。
だって、愛することは受け入れることだから。

 

 

じゃあ、なぜ髙地さんはジェシーくんを受け入れるようになったのか。もしかしたら、彼も愛情のやり場を見失っていたのかもしれない。空中分解したB.I.Shadow。選び取った存在であるはずの北斗との距離感。

当時の北斗に対して、距離を置いて見守る、という選択をしていて、それだって十分“愛情を傾ける”ことに他ならないが、そもそも尽くしたがりなのだ、うお座は。

 


だから、お互いにピッタリはまったのだと思う。与えることで愛したいジェシーくんと、受け入れることで愛したい髙地さん。


“愛したい”という同じ軸を対称に、真逆に伸びきったベクトルは、きっと、とてもちょうどいい。